森へのパスポート

こないだトトロやってたんで小学生のとき以来で観たんです。
したっけなんだかやたらと感動してしまって。広葉樹のあのモリモリしたとことか、里山のあの自然〜人家に至るグラデーションとか。きゅうりとか。
あと何より、メイちゃんの動きにね。もうまごうことなき幼女のそれであり、ああもう駿ったら本当に幼女が好きなんだなあと。

で思ったんだけどトトロってまんま駿監督だよね。トトロとメイ、サツキの交流は、親子関係を含む一切の「性」を排除した関係なわけで。
そういう関係は以前取材したペドさんたちの理想、願望に似てるんだよね。

ムーミンとその彼女のような関係が欲しい…
(『汚れた大人図鑑』「第1回 ペドフィリアという生態」より)

自著引用キタコレ!
…いやまあ世間でいろいろ騒がれてるペドさんたちだけど、彼らは幼女ないしは少女たちの性の萌芽を異常に嫌がるんですね。自分たちは散々オカズにしたりイタズラしたりするくせに、幼女少女が「どのアイドルが好き?」とか言い始めると途端にアバズレ扱い。
そしてやはり自分自身の性欲にも、かなりのストレスを感じている(発散するのにリスクが高いため?)。だから上の発言のように、性の存在しない、性というものを完全に排除したコミュニケーションを欲するようになるのかなあと。
あ、もちろん、ただ見てるだけで可愛いっていうのもアリだけどね! まあどちらにしろ、何かを獲得するという関係にはならないわけで(するとしたら「萌え」くらい?)。

そう考えると、『となりのトトロ』なる作品が死の影を帯びているのも非常に納得のいく話だよね。例の都市伝説がある程度の説得力を持つのも頷ける。

そんなわけでトトロにめちゃ感動した私は次の朝、たまらず長瀞に行ってきたのだった。まさに森へのパスポート!