鍵っ子

さいきんは仕事などしながらずっとひとりの女性のことを考えていて、漫画にしなければと思って彼女の行動や思考を仮想ストーキングしていたのだけど、仮想はあくまで仮想でありそこから生まれたものは、やはり私が目で見て感じたものにかなわない。と知った。
そんなわけでアプローチを変えることによってひとつのエピソードを描き上げるに至ったが、それはまだいちエピソードに過ぎず、結局私が目で見て感じてきた、彼女に関連するであろう事柄を全部描ききらないことには私の目的は達成されないだろうと気づかされた。
面倒だ。面倒さ。ホセ・メンドーサ
私の話ばかりで恐縮だが(梨元)、私は体系的に物事を吸収するのが苦手なのだと思う。例えば好きなソングライターがいたとして、その人の曲をすべて聴き込んだ後に、その人が影響を受けたソングライターの曲群を聴いてみる、というような。
そこまで追う興味は基本的にない。私が興味を持つのはそのソングライターに興味を持った私であって、そのソングライターではないのかもしれない。だから、そのソングライターが誰に影響を受けようがそれはどうでもよいのだろう。
そんな具合に興味を走らせるものだから、私はどのジャンルに対しても体系的な知識を持たない。手元にあるのは、思いつくままに手に取ったまとまりのないものたちで、正しくは、まとまりのないように見えるものたちで、しかしそんなものたちでも私の中ではそれらがひとつの秩序をもって有機的に動いている。矛盾すらも矛盾しない、きちがいじみた確信の世界。
それこそが私の世界で、だからいつも伝えることに苦労するのだ。そこに論理はないから。私だけが飛躍して辿りつくから。
でもきっと、伝える鍵はすでにこの手の中にある。自分を救う鍵はいつも自分の中にあるから。私が私の秩序に従って集めてきたものの中に、それは、必ず。