私のセックスおいくらまんえん?

久々に本橋信宏さんにお会いして雑談してるつもりがいつの間にかインタビューに。出会い系にハマっていた10年前のことなど話す。


「(出会ったのは)4〜50人ですかねえ」
「お金もらってないんでしょ?」


そうだった。とハッとした。セックスをお金の対価にするというアイデアは、若い私の頭になかった。


最近いくつかの取材でも答えたことだが、私は幼児の時分にオナニーを覚え、中学生の頃にはオナニーで中イキしまくっていた。初体験からセックスが気持ちよく、ちんこを入れればイクのはデフォルト。だから、セックスできればそれだけで嬉しい! 楽しい! 大好き! なわけで、ホテル代出してくれるだけでいい人! とばかりに能天気ヤリマンライフを謳歌してきたのである。
この仕事をするようになったのも「セックスしてて遭遇した面白エピソードを披露してお金になったら超ラッキーじゃね」くらいのもので、何か特別の決意や気負いがあったわけではない。
大抵のセックスでイク、となるとセックスにおける興味は自分の快感よりも相手の快感に向いてくる。相手を気持ちよくさせるテクニックを研究し、本や雑誌なども大いに参考して実践した。


ある時、某女性誌の某セックス特集で「セックステクニックを聞かせてもらえないか」と言われたので自分の経験の知識を総動員して答えた。私はそれらのテクニックを使って相手が快感を得ることに喜びを見いだしていたし、読者のなかに同じ喜びを見つけてくれる人がいればこれ以上に嬉しいことはない、と思ったから。


だが、その雑誌が世に出ると「こんな風俗嬢みたいなことする女はいない」という反応が返ってきた。それも他ならぬ女性から。
私はすごく悲しかったのを覚えている。確かにいま考えると、その雑誌はこのテクニックを「愛されるためのセックステクニック」と銘打って紹介しており、セックスが好きではない女性が「愛されるためにここまでしなければならないのか」と憤慨したり落胆したりしても不思議ではなかった。だが私はセックスが好きで相手を攻めるのが好きという人がそれを参考にしてくれればいいと思っていたし、そもそもセックスが嫌いな人はそんなもん読まないだろうと思っていた。風俗のサービスを参考にしたプレイも、プロのテクはひと味違うぜとリスペクトしたからこそ取り入れたのに、それを「風俗嬢がやっている」からというだけで嫌悪する人がいるとは想像だにしなかった。
予想しない方向からの批判は私を傷つけた。しかしそれ以上に私が悲しかったのは、セックスが好きじゃないけど愛されるためにセックスを頑張るなどという女性がこの世に存在しているという事実だった。


女性にとってのセックスは、長らく何かの対価を得るためのものだったかもしれない。金、子供、あるいは愛。セックスは「する」ものではなく「させてやる」もの。そういう認識の女性からすれば、たださせてやるだけで得られたはずのものが、そこまでしてやらなければ対価が得られないんじゃ採算が合わない。と、そういうことになるのだろう。私は風俗嬢ばりのテクニックを紹介することで、女の価値を暴落させ、多くの女性たちの利権を奪ったのかもしれない。
でも。私は思う。一度まんこの価値をそこまで引きずり落とさねば、自発的能動的に楽しめる性というものを女性が手にすることはできないのではないか。…とここまで書くと左翼の演説みたいだけども。


愛を得たいとか、金品を得たいとか、それだけのために嫌いなセックスをしなくてもいいんじゃないのかなあ、女性は。今や女性がお金を稼ぐことだって昔ほど大変ではない。セックスをしなくても、愛してくれる人はいる。セックスで得たものを繋ぎ止めるためには、更に望まないセックスを重ねなければならない。そんな人生さあ、不毛じゃない。もっと自分の好きなことしたほうがいいよ。


「性は権力だ」という言葉があって。確かにこれまで性は権力の差によって育まれ、権力の差を産み出してきた側面があるけれども。いい加減、皆そういうものに疲れてるんじゃないかと思う。男らしさとか女らしさとかいうのにもそうだし、セックスを対価にデカいものを釣ろうとすることにも、セックスを勝ち取るために金や力を得ようとすることにも。


私のセックスはおいくらまんえんではなく、私の満足のためにある。それだけでよくね?