ダイアローグとしてのセックス

面白かったのは「セックスは快楽や愛情や暴力をも含んでいる」みたいな部分。カーマ・スートラではいわゆる前戯の項目に「噛む」とか「引っかく」とか「殴る」とかも入ってるんだけど、そういう暴力的な接触は現代ではSMとかゆわれてアブノーマルなこととされてしまう。でも、じゃあどこからがアブなのかと言われると微妙で、相手が悦ぶ(興奮する)ことをするのがセックスだと考えてしまえば、噛んだり殴ったりもアブじゃないということになる。っていうか、それは私は全然アブじゃないと思う。
で、何がアブノーマルなのかというと、それはやっぱり他者が存在しないセックス。自分が気持ちいいだけのセックス。例えば、自分が幼女としたいからってしちゃったり、殺すとちんこビンビンだからって殺しちゃったり。いや、幼女が「あなたとしたいんでちゅ!」って言えばしてもいいと思うし(法的にはアレだけど)「殺されるのがエクスタシー!」ってゆえば殺すのもアリっていうかもうそれはふたりの世界だから私は何も言わないけど。でも誰もそんなこと言ってないのに自分の都合だけでしちゃったらそれはオナニーだ。
何もペドや殺人に限らず、「おっぱいを優しくさわさわしてほしい」ってゆってるのに強く揉みしだいたり「前戯をたっぷりしてほしい」ってゆってるのにいきなり挿入したり、そういうのはセックスじゃない。


セックスには快楽も愛情も嫉妬も本能も暴力も何もかもがない交ぜになったカオスでいいのだけれど、それは必ずふたり(ないしはそれ以上)の人間の意思のもとに行われなければならない。と、改めてこの本を読んで考えたどるちゃんなのれした☆