おれの無駄に長い読書感想文

性愛奥義 官能の「カーマ・スートラ」解読  講談社現代新書

性愛奥義 官能の「カーマ・スートラ」解読 講談社現代新書

読み終わった。
そもそも別の本のついでに手にとって、「仕事のネタになるかなー」という非常によこしまな気持ちで買ってみたわけなんだけど。
ようは、「カーマ・スートラはセックステクニックの指南書というよりは恋愛指南書で、そこから読み取れるものは現代のそれよりも遥かに豊かな性愛生活の情景である」ということなんだけど、まぁそれは確かにそうかもなーと思った。
現代では「前戯〜挿入〜後戯」っていう流れのみに削ぎ落とされてしまったけれど、前戯ひとつとっても色々な部位に色々なやり方があるわけで。カーマ・スートラはそれを言葉にしていちいち分類していった書物なのだそうだ。
分類という行為において、分類する人の頭の中ではひとつひとつの項目に「気づき」が発生する。「あ、ここをこういう風にするのもいいかな」「おお、ああいうやり方もあるのか」みたいな感じで。だから「セックスの過程を、細かく分類する」という行為に重要性を見出したこの本は、その点において非常に有意義だと思う。


ただ、漫然と箇条書きにされたそれらの言葉を「読むだけ」の立場になってしまうとその「気づき」がいまいち分かりづらいんだよね。この本の場合も、著者は「カーマ・スートラ」の編者の側から見て、分類するという行為を追体験してるから「分類されることに大きな意味があるぞ!」って言えるんだろうけど、既に出来上がった箇条書きを見せられる読み手はそれまでに編者に寄り添う機会もなく、追体験もしてないからそれがどれくらいすごいことか分からない。その温度差が歯がゆいなぁ、というのがひとつの感想。