セックスの作用

「喧嘩の後の仲直りセックス」と言うように、嫉妬、憎しみ、葛藤、自虐、その他の激しい感情は、セックス後には「ま、いっか」となる。一時的な場合もあるんだけど、とにかく収束する。
これは、問題の根本的解決にならない点ではよくないという考え方もあるけど、些細なことへのこだわりから生じる問題の平和的解決としては非常に現実的な策だなぁと思う。
長い人生には色々あるけど、本当にのっぴきならない問題なんて実はそんなにあるもんじゃない。
大したことない問題を大した問題にしているのは本人の自尊心や執着心や拘泥で、それは本人にとっては「おれがおれであるための…」という非常に価値あるものに感じられるんだけど、周りの人から見たら「なんでそんなことで」っていう場合が多い。
例えば、生徒がイジメに遭って自殺したことが原因で首吊っちゃう校長先生とか。
それって要は批判を浴びて自分の今までの立ち位置を保持できないから死を選んでるワケで、家族にしてみれば身内の自殺なんてトラウマものだし、自殺した生徒の親だってそんなんで解決されるわけでもなし、後味悪いだけだし。それだったら校長辞めてヒラの先生として頑張るとか、出家するとか、一家で夜逃げするとかのほうがマシじゃんっていう話で。
あと、ちょっと怒られたからって先生を殺しちゃう生徒とか。嫌いな料理を出されたから妻を殺しちゃう夫とか。進路が決まらないからって息子を殺しちゃうお母さんとか。
結局それって根っこは同じで、自分の思うようにことが進まないから自殺しちゃえ人殺しちゃえ。
いや、そもそも人生って自分の思い通りにいかないもんだし! そんなことで死ぬか殺すかしてたら更に人口減っちゃうよ!
まーそんで、そういうどうでもいいこだわりを無化する作用が、セックスにはあるんじゃないか。全ての問題をのっぴきならないものとして根本的に解決するのは、たかが人間には重荷に過ぎる。
そんなときにセックスして、射精するなりオーガズムに達するなりすると、それまでのっぴきならないと思っていたことも「ま、いっか」となる。すごいじゃないですかセックス!素晴らしいですよセックス! 人口も増えるし!! そうしてセックス教団にのめり込んでいく校長先生。面白い。