よんだ

世界屠畜紀行

世界屠畜紀行

世界各国の屠畜事情を記録したイラストルポ。
かなりライトな文体で読みやすく、また日本では被差別部落問題とも過去に密接な関係があるテーマにも関わらず、強い思想的な押し付けもなくて受け容れやすい。非常に面白く読んだ。
読んでほしいので内容には深く触れないことにして、おれの屠畜にまつわる経験の話をする。


たぶん小学校に上がる前のことだったと思う。江東区の都営団地に住んでいた祖母が、海外旅行に行くので飼っているニワトリを預かってほしいとのこと。母は了解して数日間(1週間くらいかなあ)1羽のニワトリを庭でケージに入れて世話をした。生き物が好きだった幼少のおれも物珍しくニワトリを眺め、短い間だったがそれなりに愛着が湧いた。で、祖母の帰国後ニワトリは引き取られ、まあそれで一件落着と思い込んでいた。
だがそれから数週間ほど経っただろうか。祖母から宅急便が届いた。中を開けると骨のついた鶏肉。色というかカットの仕方というか、形容しがたいがスーパーでパックに入っているアレとはどこか違う感じがした。ふぅん、と見ていると母がニヤリとして「これ、うちにいたニワトリ」と言い放った。幼いおれは絶句した。
いや、だって飼ってたじゃん、エサとかあげてさ……可愛いから飼ってたんじゃないの? 生き物を飼う=可愛がるとしか思っていなかったおれは衝撃を受けたが、食い意地をはっていた祖母だけに、「食うために飼っていた」という事実に妙に合点がゆき、次の瞬間には笑ってしまった。そしてその晩ニワトリは家族で美味しく食べた。「これ、うちにいたやつだよ」などと言いながら。
しかしまあ都営団地のあの部屋でしめたのかと思うとそれもそれですげぇなとか今は思う。年寄りばっかだし特に変わったことでもなかったんだろうけどさ。


それから高校3年生のとき、演劇に心酔しまくっていたおれは部活を引退してからも芝居のことばかり考えていた。そして登校中に「食われる運命にある牛と人間が恋をしたらどうなるだろう」とかキチガイめいたことを思いつき、芝居にすることを決めた。一旦決めたら突き進むのが若さである。そのことを幼馴染に熱く語ると、幼馴染の母が「じゃあ受験が終わったら牧場に行ってらっしゃい」と言い、本当に某大学の試験牧場に一ヶ月間、手伝いとして住み込むことになった(ちなみに幼馴染の母は某大の事務員である)。
そこでの仕事は基本的に子牛の世話。でも牛舎の掃除から敷き藁交換、1日数度の搾乳も手伝った(というかほとんど全部の行程をやらされた)。加えて厩舎の掃除やら実験用ヤギの捕獲(おれは天才的にうまかった)やら頼まれればなんでもやった。巻き込まれたかたちの幼馴染とふたり、仕事の楽しさを満喫した。
ある朝、牛舎の扉を開けると何頭も子牛が死んで倒れていた。病気の可能性があるため、獣医さんが解剖することになった。当然おれたちも興味津々で立ち会った。メスで手際よく牛をさばく獣医のお姉さん。血は思ったほど出ず、内臓がどこにどのように入っているかよく分かった。死んですぐだったので大して臭いもなく、お姉さんが「ここがセンマイ、ここがハチノス…」と内臓を開きながら焼き肉用語で解説してくれて興味深かった(さすがに食べなかったが)。でも死後2日くらい晴れた日に放置されていた大人の牛を解剖したときは、臭いがかなりキツかったなあ。あとで院生のお兄さんたちに「じゃあ焼肉行こうぜ!!」とか言われてちょうウケたけど。


てーゆうか全然屠畜経験じゃないなこれ。屠場を見たかったんだけどそこには結局連れて行ってもらえなかったし(でも脚本書きに必要だったのでお兄さんやら職員のおじさんやらに根掘り葉掘り聞いた)。まず屠畜に関する情報なんて、全然手に入らなかったし。それだけ屠畜はこの国において、隠蔽されているわけだ。そんなわけで上記の本が出版されたことには大変意味があると思う。屠畜業に対しての差別感情とかも含め、なんかこう喉の小骨が取れるかんじ。読んだ後に動物を屠って食べたくなる、そんな本なので読んでみてください。おれは早稲田のあゆみブックス新刊コーナーでゲットしたよ。