すべては等しく無価値で

小学生当時の姿しか思い浮かばない友達の妹が、介護の仕事で毎日片道二時間の土地へ通っていると聞いた。
中学生のとき一緒に稲中キャラの真似をして遊んでて校長室前の掃除係から左遷された友達が、疲れた顔で「そんなことすっかり忘れてた」と言った。
「お椀」を「おうで」と本気で読んでいた中学の同級生が「お局」と呼ばれそうなくらいのキャリアウーマンになっている。
同級生が次々に人の親になっていく。


おれおれ、おれはあの頃からつい最近まで、世界で一番「わかってる」のは私だと信じていて、皆は目先のこと以外何も見えていないばかだと思っていた。
皆、仕方なしに特にやりたくもない仕事について、なんとなく流行ってるもので余暇をやり過ごして、本当のことから目をそらして毎日をごまかしているのだと。
おれだけが自分の中にある特殊能力で世界の真実を知り、素晴らしい目的を達成し、真に価値ある人生を過ごすことができるんだと思っていた。
それははなはだしい勘違いに過ぎなかった。
価値ある人生なんてものはなかった。人生とはただやり過ごすことだった。
やり過ごす間に出会う出来事や人々に、なんとなく心を動かされたり、かき乱されたり、なんとも思わなかったり。
何かを残したり、残さなかったり、残そうとしたけど残せなかったり。でも、だからといってすべては等しく無価値で。
それは、いいね。実に楽で、すがすがしいね。
誰がおれのことを認めようと認めなかろうとおれにも誰にも価値がないんだったら、おれはなんでもなくていいんだから。
何かでなくてはならない、なんて誰に強いられたのかさっぱり分からなかったけど、その考えから解放されたとき、はじめて本当に他人のことを思いやることができるようになった気がした。
皆、はじめから知っていたんだね。