悲しみのゲイ、どる山

神保町を歩いているとOLのお姉さんとか女子大生とかが群をなして闊歩するのを目にするわけだけど、いやーみんなおしゃれで可愛くて細いこと。
縄文人がビルドアップしたよな堂々たる体格の持ち主であるおれとしては、羨ましい限りである。
やっぱあれだよね、こういう女の子こそがお肌つるすべサブカル系男子と合コンしたり交際したりする権利を持っているのであり、縄文人は大人しく稲作でも習っていやがれとゆうことだよね。うんうん。
あーーー悲しい。実に悲しい。どうしておれは細腰ゆるふわ愛され女子に生まれなかったのだろう。パステルカラーのメイクとか、白いコットンワンピとかが似合う女子に生まれたかった。心底生まれたかった。
原色を着ると「現地の人」的な意味で似合うおれは、これからの時代どうやって生きていけばいいのだろう。どこに行っても道を聞かれてしまい、ゴーヤを買うと八百屋のおばちゃんに納得される己が「現地人」性に絶望する。
乙女のバイブルanan様においてしたり顔でオナニー指南なぞしてるけれど、実際こんな剛毛・癖毛・白髪の三拍子揃った原住民がゆるふわ女子に上から物言える立場になんかいるわけないんだ…。とりあえずそのパンツを突き破る勢いの陰毛なんとかしろってレベルなんだ…。
細腰乙女たちがヒールの柔脚を翻すたびに、狂おしい気持ちになる。彼女たちの脚にむしゃぶりつきたいような、自分のサイヤ人脚に火をつけて焼き払いたいような。サブカル男子の白い首筋をすぅっと舌を滑らしたいような(これは常時)。
いっそ男に生まれたかった。男に生まれこの堂々たる体躯と彫りの深い目元で、ハッテン場の麗神として君臨したかった。そして細腰乙女たちの彼氏をも根こそぎ骨抜きにし、オッスオッスの世界へと導きたかった…。
女に生まれてしまった悲しみのゲイを、後世の人はどる山と呼んだ。