色々と書きたいこと話したいことがあるんだが、どこから話せばいいのか、何を前提に話せばいいのか見当もつかないのでとりあえずは置いておくよ。


久しぶりに電話した男子に、「新しい連載は下品ですね」と言われたのでそのことを書く。
と、それまで私はN誌(伏せる必要はまったくないがこうするとかっこいいので伏せてみた)で2つの連載をやっていて、そのどちらもまぁまぁ評判はよかったのだが、どうも、自分の姿勢に迷いがあったというか。
体験漫画と銘打っておきながら、その2連載で私がしていたのは観察であり、分析だった。それを否定はまったくしないが、そういう姿勢で漫画を描いていると、自分がどこに立っているのか、取材先の人をどう扱っていいのか分からなくなる。
冷徹に観察し、分析することで、飯を食う。しかも大体は取材前にアポをとっているわけだから「あなたを冷徹に観察し分析して飯を食いますよ」と宣言し、了解を取るわけである。
もうその時点で私は完全なる観察者ではなく、取材先に生身の私として関わり始めているわけで。そうなると当然、取材先の人が私をどう思うか、とか、取材先の人と同じ世界の人々が私をどう思うか、とかが気になって仕方ない。そんな中、冷徹に観察し分析するフリをした漫画を描くというのは、相当に嘘に満ちている感じがするし、簡単にいうと後ろめたい。
観察とか分析とかはカッコよく見えるかもしれないが、体験もしてみないで、その世界に飛び込んでもみないで高いところから誰かを観察したり、分析したり、裁いたりするのはだせえと思う。なぜなら、観察とか分析とかって行為は、自分から対象への一方通行の目線ではなく、実は相互に影響しあう関係だからだ。観察にしろ分析にしろ、その世界に何らかの形で関われば、自分も変わっていく。それは当然のことのはずなのに、それが観察や分析という形をとった瞬間、あたかもその世界を、自分はまったく関係のない世界として扱わなければならないような、自分は変わらず不動の姿勢を保たなければいけないような気がしてしまうし、そういう息苦しさにすら気づかないで、立ち位置の不確かな仕事を平気でやってのける(悪くすると、無神経にひとを傷つける)業界関係者を自分に重ねて自己嫌悪に陥ったりする。
そういった精神的不衛生をただすためには、私が下品なバカになるほかないのである。
事実、下品なバカになった結果、変な卑屈さはなくなったし、心配していた読者ウケだって、そう悪くはないみたいだ。まぁ件の男子からしてみれば不満のようだが、私なんぞ、大したタマではないのさ。
私が私に厳しくすることで、周りにも息苦しさを与えるくらいなら、私が私を許して、周りがラクな感じになればよい。
バカでいい。もっと、バカでいい。